
2008年6月7日、和術慧舟會東京本部代表の守山竜介氏が交通事故のため急逝された。ほどなく、この突然の悲報は選手や関係者に伝わり、守山氏を知る人の多くが大きなショックを受けた。最も悲しんでいるのは、普段から守山氏に稽古をつけてもらっていた慧舟會の選手たちだろう。とある会場で、東京本部に所属するスマックガール・ミドル級クイーンの端貴代にバッタリ遭遇したことがあった。いつもなら、はにかみながら時折笑みも浮かべて話す端が、この日はどこか元気がない。やはり相当なショックを受けたようだ。
「守山さん、本当に残念です」と伝えると、「守山さんですか……」と言葉を詰まらせた。いつも守山氏と供に端のセコンドに就き、この日も傍らで見ていた小泉慶司が、彼女の心情を代弁してくれた。「貴代は本当に可愛がられていたと思います。守山さんは、お父さんのような存在でしたよ。貴代も同じ気持ちだと思いますが、まだ信じられません」
守山氏の急逝から2週間後。東京・ディファ有明で行なわれた『CAGE FORCE』の会場には、慧舟會の選手が大挙して集結し、さながら追悼興行の様相を呈していた。和術慧舟會RJW所属の修斗バンタム級トップコンテンダー、漆谷康宏は師の言葉を静かに噛み締めていた。「亡くなる数週間前、守山さんに『怖さをもって試合をしなければいけない』と言われて気付かされたんです。最近、結果が良くないし、打撃に拘り過ぎていたかもしれない。もっと寝技もやろうと思い、東京本部に行き始めた矢先でした。まだ教えてもらいたいことが山ほどあったのに…」

現在は所属を離れたが、かつての慧舟會の代表選手、高瀬大樹も来場していた。いつもの大会なら来ることもなかったかもしれない。しかし、この日はいてもたってもいられなかったのだろう。やりきれない感情を露にした。「僕が試合でロサンゼルスに行った、その日に亡くなられたんです。試合が終わってから知らせを受けて、すぐ社長(久保豊喜・WKネットワーク代表)に電話をして…。悪ガキのような僕を守山さんは一回も怒ったことがない。本当に優しい人でした。なぜ、守山さんなんだって思います」
彼らと同じ心情の選手も多かっただろう。誰もが心の中で泣いていた。まさに追悼興行という空気を感じながら場内を移動中、忙しくしている久保代表とすれ違った。ほんの数分の雑談の中、筆者は「追悼興行のように感じます」と素直に伝えた。すると代表は、ひときわ声のトーンを上げてピシャリ。
「追悼興行? そんなこと、一言も謳っていませんよ。本人が望まないことはやりません」
その言葉にハッとさせられた。いつまでも悲しみに暮れて前に進めないようでは、それは故人の本意ではないはず。選手たちが目の前の試合に全力を尽くし、勝つことが一番の弔いになることを、全選手が本能的に感じ取っていた。
